4)承認を求めようとすること 世話をやく事
わたしたちの多くは、承認されなかったり、批評されたりすることを恐れます。わたしたちは、積極的な方法で承認を求めるというよりも、むしろ自分の不安をなだめるために、また人に自分を気に入ってもらうために、強迫的に保証を求めます。この事は、わたしたちが自分の感情や欲求に接触しないようにしてしまい、自分の欲するものや必要とするものに気づくのを妨げます。わたしたちはすべての人を楽しませようと努力し続け、自分自身にとって害となる関係から自由になれません。
他の人からの承認を必要とするとき、次のようであるかもしれません
・人の機嫌をとる
・批評を恐れる
・自分白身の必要や欲求を無視する
・失敗を恐れる
・自分を無価値に感じる
・自信を失う
例:わたしはわたしの友達からの承認を求めている。なぜなら、自分のことをより良く感じられるからだ。この事はわたしと友達との関係に影響を与えている。この事はわたしの拒絶に対する恐れをかきたてる。この事はわたしに自分は誰にとっても大切ではないような気持ちにならせる。
自分自身の承認を求めること自体はOKなのだということが分かります。そしてわたしたちは、他の人を操ることなしに承認を求める仕方を身につけます。他の人たちの褒め言葉を受け入れて、率直に「ありがとう」と言えるようになります。そう言うのが心地よいときに「イエス」と言います。「ノー」というのがふさわしい時には、進んで「ノー」と言います。
適当でない承認の求め方から回復するにつれ次のようになっていきます
・自分の必要を認める
・自分自身に対して忠実になる
・自分がどう感じているかについて本当のことを言う
・自分の自信を築く
5)世話を焼くこと
子供のとき、しばしば自分が到底取り扱えない他人の関心や問題に責任を取ることも当然のことと思っていました。その結果、わたしたちは普通の子供時代を過ごすことができませんでした。わたしたちに課せられた非現実的な要求と、わたしたちが「小さな大人」であることから受け取った賞賛とは、自分は何でもできるのだとわたしたちに信じ込ませました。他人の世語焼きをすることはわたしたちの自己評価を押し上げて、自分はなくてはならないものだと感じさせました。それはわたしたちの人生に目標を与えました。世話焼きとしてわたしたちは、他の人から自分が必要だと保証されるような状況にあるとき、最も快く感じます。わたしたちは、他の人たちは受けるだけで与えてくれないとよく恨みますが、実際に他の人たちがわたしたちを世話をしてくれようとすると落ち着きません。わたしたちは自分自身の世話をする喜びをも経験していません。
世話焼きとしてわたしたちは次のようであるかもしれません
・共依存になる
・人々を救う
・自分のアイデンティティーを失う
・非常に責任を感じる
・自分自身の必要を無視する
・なくてはならない気持ちになる
例:わたしは付き合っている人の金銭的な問題に世話を焼いている。彼にもっと愛されたいからだ。
このために自分の手持ちの資金は影響を受けている。これはわたしの恨みの原
因になっておりわたしを非常に孤独な気持ちにさせる。
回復と共に、わたしたちが他人の世話焼きをする人の役割から降りるにつれて、すべての人またすべての事に対して責任を感じることが減っていき、一人一人が自分の道を見つけるに任せるようになります。わたしたちは他の人を、すべての人の必要に応えるという荷を下ろすことによって、わたしたちは自分自身の人間性を発展させる時間を見つけます。他の人の世話をすることに対しての強迫観念は、究極的にわたしたちは他の人の生き方に関して全く力がないのだ、という事実に置き換えられます。わたしたちは、人生で一番責任を取らなければならないのは、自分の福利と幸福であることに気づきます。他の人の世話を焼く人であることを止めるにつれて、次のようになっていきます
・他の人を救うのを止める
・自分自身のアイデンティティーを発展させる
・自分自身を配慮し世話する
・依存的な人間関係を認識する
見捨てられ不安と権威ある人を恐れる事?
7)見捨てられ不安
見捨てられ不安は、わたしたちが幼児期に発達させてきた、ストレスに対す
る反応です。子供のころわたしたちは、無責任な大人たちの予測できない行動
を観察してきました。両親がわたしたちのためにそこにいてくれるかどうかな
どは、一日一日決して定かではありませんでした。わたしたちの多くは、身体
的にまたは感情的に見捨てられました。親たちの嗜癖がどんどん激しくなるに
つれて、彼らはますます親らしいことが出来なくなりました。子供として、わ
たしたちは重要な存在ではなかったのです。成人になってもわたしたちは、自
分を捨てるのではないかと心配させるパートナーを選ぶ傾向があります。見捨
てられる痛みを経験しないですむように、わたしたちはパートナーの必要や要
求にすべて答えることによって、完璧であろうとします。見捨てられる可能性
を減らすことのほうが、問題や葛藤を扱うことよりも先行してしまいます。こ
の行動は、ほとんど交流のない緊張した人間関係を生み出します。
見捨てられ不安があると、次のようになっているかもしれません
・安全でなく感じる
・過度に心配する
・共依存になる
・世話焼きになる
・拒絶されるように感じる
・一人になることを避ける
例:わたしは夫から見捨てられることを恐れている。なぜなら彼はわたしにあ
まり注意を払ってくれないからだ。この事はわたしの思いの平安に影響を与え
ている。この事は彼に対するわたしの世話焼きとコントロールをかきたてる。
この事はわたしをとてもおびえさせ、傷付きやすくさせる。
わたしたちが、常にそこに存在している神の愛に、より多くを頼り任せるこ
とができるようになるにつれて、人生や未来に対するわたしたちの自信は増し
ていきます。わたしたちの見捨てられ不安は減少していき、自分は生まれなが
らに価値のある人なのだという感情に置き換わっていきます。わたしたちは、
自分自身を愛し、大事にしている人たちとの健全な人間関係を求めます。感情
を表わすことを、もっと安全に感じるようになります。わたしたちは、以前
持っていた他の人への依存を、神に対する信頼へと移行させます。わたしたち
は、自分を取り巻く社会の中での、育み愛し合う友情関係を理解し受け入れる
ようになります。神がわたしたちの人生の中におられるなら一人ぼっちになっ
てしまうことはもう絶対にないのだ、ということを実感し始めるにしたがっ
て、わたしたちの自信は成長していきます。
見捨てられ不安が小さくなるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます
・自分の感情に正直になる
・人間関係において自分の必要を大事にする
・一人でいて快適に感じる
・世話焼きの特質が少なくなる