回復の苦しみは無駄ではない
わたしたちが「偽りの自己」という外套を脱ぎ捨て「真の自己」への出発を
するのは容易ではないのです。あまりに苦しいので、「何も知らなければ良
かった」という気にさえなるでしょう。しかし、のたうち回るような苦しみを
経て、新しい「真の自己」の確立へと向かうのです。この過程は、毛虫が蝶に
変身する過程に例えられます。毛虫は自分が蝶になることを知りません。変身
をもたらすためには、幼虫の自分がいわば一度死に、繭の中で再生すること、
そのすべてが経験されなければなりません
ある人が庭の木にぶら下がっている繭に気がつきました。その人は枝から繭
を取って投げ捨てようとしたのですが、繭の端が開いて蝶がもがいて出ようと
しているのに気付きました。その人は蝶が出るのを助けようとして、繭を丁寧
に切り裂いてやりました。確かに蝶は開いた繭から弱々しく這い出して来まし
たが、数時間の内に死にました。その蝶が独力で外の世界で生き延びるために
は、もがくことによって得られたであろう力を必要としていたのです。同じよ
うに傷ついた「内なる子供」の回復はわたしたちが自分自身の力でやり遂げな
ければならない過程なのです。他の人が代わってやろうとしたり、わたしたち
のために答えを見つけようとすることは、それがどんなものであっても、わた
したちが健康に機能するのに必要な、情緒的な力を獲得する可能性を弱めるも
のとなるでしょう。